SCHOOLお菓子教室

シフォンケーキと私

オーストリーのパイ

 オーストリーでシフォンケーキ
 

オーストリー

 20年ほど前、お菓子作りを教えていただいていたシェフがお店をオープンするにあたり、修行先のオーストリーへ買い付けに行くというのを聞き、同行させていただきました。シェフが働いていたオーストリーのお店でシフォンケーキを作っていたというのを聞き、どうしても、そのお店の方にお会いしてお話を聞かせていただきたかったのです。どうしてオーストリーでシフォンケーキなの???ひょっとして、シフォンケーキってオーストリーのお菓子?? 次々と疑問がわいてきました。
 ラ・ファミーユのスタッフと、一緒にお菓子作りを学んでいた仲間数人と、シェフの後についてオーストリーに飛び立ちました。ウイーンから電車で数駅の街のお菓子屋さんで、やさしい感じのシェフでした。「どうして、シフォンケーキを作られるのですか?」という問いに、「日本人の留学生のお母さんに教えてもらった」と、言うではありませんか!!ビックリ!「今は、シフォンケーキを作っている時間がなくて、やっていない」とのこと。残念!どんな風に作っていて、どんな味か知りたかったのに。。。シェフのお店のお菓子はおいしかったので、きっと、シフォンケーキもおいしくできていたことだろうと思いました。オ-ストリーの方が作るシフォンケーキ、食べてみたかったです!

 あれから20数年後、再びオーストリーへ行く機会に恵まれ、シフォンケーキを携え行って来ました。スチュルーデルを教えてくれたシェフに、お土産として当店のお茶のシフォンケーキを持っていきました。外国の方は、日本の緑色のお茶に興味を持つようですね。そして、シフォンケーキの柔らかさにも。海外に行くと、日本人と共にシフォンケーキに出会います。シフォンケーキは、日本のお菓子の仲間になっているのでしょうか?

 

ハワイへ

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   2008年シフォンケーキの歴史が知りたい!と言っている私に、「叔父がハワイでお菓子屋をやっていて、シフォンケーキを作っているみたいだよ」と、生徒さんの一人が教えてくれたのです。それを聞いたら居ても立っても居られません。「おじさんに、会いに行きたい!」と、早々にハワイに行く予定を立てました。
  
  私と娘スタッフ2名の四人で行くことになったのですが、ハワイへ旅立つ1週間前、重い植木をかたずけようと持ち上げて置いた途端に、ズキっと腰に痛みが走り倒れこんでしまいました。そのまま救急車で病院に運ばれ入院。
  ベットの上に寝たきり状態。1週間後にはハワイに出発する予定なのに、起き上がれない! 歩けない!! あなたたちだけで行ってきて!と、泣いていました。
 
 横たわっている中で、3年ほど前にもハワイへ行く予定がだめになった出来事を思い出しました。
 
 出発の朝、天気予報は雪。バスは動いていて空港には行くことができたのですが、雪が降り続き欠航便がでるようになってしまったのです。行き先によっては飛んでいく便もあったのですが、ハワイ行きは欠航。夜遅かったので帰る交通手段もなく空港に一泊。次の日払い戻しを受け、帰宅しました。
 
 そんな思い出がよみがえり、「ああ、私はハワイに嫌われている、また行けない!」と、半べそをかいていると廊下から話し声が聞こえてきました。「人生負けたら終わりだよ」と、相手の人に行っている話声。
 わたしには天の声にきこえました。そうだ!前回は自然災害だからどうしようもなかったけれど、今回はわたし自身が頑張れば行けるかも。と、自分に「頑張れ!」と励ましました。
 
  不思議なことに、動けなかった体が翌日はベッドの上で足が動く、次の日は起き上がってご飯が食べれる、少しずつですが、動けるようになってきたのが感じられ、痛みも軽くなってきました。ひょっとしたらハワイへ行けるかも。。。。
  
  病院の先生と相談した結果、コルセットをして、「無理のないように気を付けて行くように、何かあったらすぐ病院に行くのだよ」と、アドバイスを頂きハワイへ出発しました。空港の中は車椅子で移動ができ、飛行機の中は幸いに空いていたので、横に寝れたので助かりました。
  無事、ハワイに到着。空港で、日本語のわかるタクシーの運転手さんに出会い、一日観光をお願いしました。
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